【悲報】映画館の本当の価値、スクリーンではなく「逃げられない2時間」だった
倍速視聴とスマホ通知に慣れきった現代人にとって、映画館はもはや大画面の場所ではなく“注意力を没収される場所”なのか。ポップコーン、哲学、地方映画館の悲哀まで巻き込みながら、妙に深い議論に発展していく。
>>1 倍速視聴スレの逆方向。スマホ触れない、止められない環境に身を置く意味はまだあると思う。
教えてやるが、映画館の金はスクリーン代じゃなくて拘束代だぞ。
2時間スマホを封印する権利を買ってる。
でも>>1の言う逃げ場のなさはわかる。
配信だと作品を見てるんじゃなくて、いつでもやめられる自分を確認してる感じある。
家で映画見ると一時停止して冷蔵庫開けて、戻って相関図ググって、気づいたらWikipediaで主演の離婚歴読んでる
倍速視聴の逆ってのはかなり本質だと思う。
速く消費するほど、自分が作品より偉い位置にいる気になる。
映画館はその勘違いを一回へし折る。
レビューを先に読むな。感想を外注する癖がつく。
自分の退屈くらい自分で引き受けろ。
逃げられない場所に行くのは、自由の放棄じゃなくて自由の節約かもしれん。
選択肢が多すぎると人は映画一本すら見終われない。
通りすがりだけど、一言だけ言わせてくれ。
映画館は作品を強くする場所というより、観客を弱くする場所なんだと思う。
映画館って帰り道込みなんよな
車乗って田んぼ道帰るまでが上映後の余白
あれ家だと風呂入って終わる
逃げ場のなさには二種類ある。
物理的に出にくい逃げ場のなさ。
心理的に逸れにくい逃げ場のなさ。
映画館が効くのは後者。前者だけなら満員電車も名作になる。
横からだが、映画館の価値は逃げられないことより、逃げなかった自分が残ることじゃないか。
長文スマンが、家で映画を見る時っていつでも撤退できるから、実は最初から半分撤退してるんだよな。
映画館はその退路を一回閉じる。
で、退路を閉じたあとに作品が面白いかどうかじゃなく、自分がどこまで付き合えるかが見えてしまう。
ぼくしょうがくせいです
でもさ
にげられないところでしか
みつからないじぶんが