【急募】夏映画の名作条件、海も花火も全部「別れ」のための装置だった説
海、田舎、少年少女、怪物、花火、別れ。ありがちな夏映画の素材を分解していたはずが、なぜか映画論と野球打線と人生論が入り乱れるスレに。
海、田舎、少年少女、怪物、花火、別れ。
要素を分解したら何が残るのか考えたい。
彡(゚)(゚)「海、田舎、少年少女、怪物、花火、別れ……」
夏の甲子園もだいたいこれやんけ
怪物は4番打者や
ちょっと長くなるが、夏映画における海は背景じゃなくて境界線なんだよ
陸が日常で、海が非日常とか死とか未来とか、そういう曖昧なものの側にある
少年少女が浜辺に立つカットって、遊んでるようで実は越えられないラインを見てるだけなんだわ
要するにだな、海がある映画は必ずどこかで「向こうへ行けるか」が問われる
少年少女についても同じで、主人公というより観測者なんだよ
大人はもう境界を越えた後だから、海も怪物もただの現象として処理する
でも子供はまだ意味を決められないから、世界が全部不気味に見える
だから夏映画の少年少女は行動する主体というより、世界が変わる瞬間を見届けるレンズなんだと思う
長文スマンが、怪物=未知って単純化するとたぶん外す
未知なら大人にも等しく怖いはずなんだよ
でも夏映画の怪物は、子供だけが過剰に反応して、大人は見ないふりをすることが多い
つまり怪物は外から来た異物じゃなくて、子供の内側に発生した変化を外部化したものなんだと思う
要するにだな
都会は選択肢が多すぎて変化がノイズになる
田舎は選択肢が少ないから、ひとつの出会いとか怪物とか花火が決定的になる
夏映画で田舎が強いのは、出来事を薄める余白がないからなんだよ
>>40
ちょっと長くなるが、別れって感動イベントじゃなくて境界を見た罰なんだよ
海を見て、田舎の圧縮された時間を通って、怪物に会った時点でもう元の視点では帰れない
だから最後に別れるのは脚本の都合じゃなくて、変化したことの証明になる
>>42 >>46
要するにだな、花火は出来事じゃなくて時刻なんだよ
物語の中で「今が最後の夜です」って宣言する時計
だから花火の下で告白しても、逃げても、黙ってても、全部もう手遅れの行動になる
>>56
ちょっと長くなるが、田舎が戻れない場所なのは距離の問題じゃない
そこにいた自分の年齢、関係性、季節、偶然が全部そろわないと成立しない場所だから
地図上では行けても、物語上では一回しか入れない
通りすがりだけど、一言だけ言わせてくれ
夏映画の別れは人との別れに見せかけた、当時の自分との別れだよ
だから相手が生きてても死んでても、もう会えない
夏映画別れ打線
1 海 中
2 蝉 二
3 田舎 遊
4 花火 一
5 怪物 三
6 麦茶 左
7 入道雲 右
8 駅 捕
9 宿題 投
監督 別れ
>>84
ループじゃなくて再帰だぞ
同じ六要素でも、最初は素材で今は関数の引数になってる
にわか乙
最終まとめ暫定
海=境界
田舎=隔離
少年少女=変化前の自分
怪物=歪み
花火=期限
別れ=不可逆
でも名作条件かと言われるとまだ分からん
元スレッド: 夏映画の名作に必要な条件って何?(102レス)