【悲報】夏休みの宿題代行、親の涙と課金装備の境界線が難しすぎる
夏休み最終週になると毎年燃える「親の手伝い」と「宿題代行」の線引き問題。スレでは教育論から家庭格差、先生の謎嗅覚まで飛び出し、最終的に“親の涙は補助か代行か”という哲学に着地した。
親が手伝うのと外注するの、線引きが毎年あいまいになる問題。
データで見ると〜って言いたいとこやけど、まず線引きは「本人の思考が残ってるか」やろ
丸写し提出は親でも外注でもアウト寄り
親が横で「ここ調べてみ?」は補助
親がエクセルでグラフ作るのは半アウト
業者が完成品納品はもう案件やろ
読書感想文だけは外注しても先生にバレそう
文体が急に京アニの演出論みたいになる
宿題代行レビュー欄とか見たら闇深そう
「納期守っていただき助かりました、子どもも喜んでいます」←誰の宿題だよ
業界の人間として言うと、線引きは「子どもが説明できるか」だと思う
作品が立派でも本人が手順を話せないならアウト寄り
家庭格差はある、そこは否定できない
でも格差があるから代行OKにはならん
学校側が課題設計を変える話と、外注を許す話は別
>>38
それはわかる
panicしてる子に必要なのは罰じゃなくてtriage
全部満点で出すより、何を捨てて何を自分でやるか決める力
親が横で計画立てる、材料買う、誤字を見るまではsupport
本文を書く、実験結果を捏造する、工作を作るのはsubstitution
ここ分ければいい
>>54
技術的に言うと工程じゃなくて意思決定権で分けた方がいい
子どもが仮説決めて親が検索方法教えるのと、親がテーマ選んで子どもに清書させるのは別物
昨日乗せた客がな、駅前通りから塾までの間ずっと子どもの読書感想文の話してた
親が横で泣きながら聞き取りして、子どもが一文ずつ書いてるらしい
それを代行表のどこに置くんやって思ったわ
>>58
表で切れない現実を表で切ろうとするからこうなる
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